2024.10.1

おてらおやつクラブ スペシャル座談会

✔︎ PROJECT

おてらおやつクラブコラボ

困りごとを抱えるひとり親家庭を応援したい!

FELISSIMO / GO! PEACE!

お寺の「ある」と社会の「ない」をつなげるために

悩みや困りごとを誰かに聞いてほしいと思っても、気軽に会って話すことがむずかしくなってしまった今日このごろ。現在、日本では子どもの貧困が深刻化しているなかで、「助け」を求める声はなかなか誰かに届きづらい状況が続いています。

お寺に届くおそなえものを、困りごとを抱えるひとり親家庭に届ける活動を続けている、認定NPO法人おてらおやつクラブ。フェリシモ「おてらぶ」はこの活動に共感し、「みんなでおそなえギフト」プロジェクトをスタートしました。社会のために何か行動したいけれど、具体的になにから始めたらいいかわからないというお客さまの気持ちと、今まさに助けを必要とされているひとり親家庭とをつなぎます。

このプロジェクトの発起人である3名に、きっかけや心境を語ってもらいました。

松島 靖朗(まつしま せいろう)

おてらおやつクラブ代表理事。奈良県安養寺(浄土宗)住職。大学卒業後、企業にてインターネット関連事業、会社経営に従事。2010年、浄土宗総本山知恩院にて修行を終え僧侶となる。2014年、「おてらおやつクラブ」をスタート。浄土宗平和賞、中外日報涙骨賞、グッドデザイン大賞などを受賞。

聞き手:内村彰(フェリシモ「おてらぶ」部長 )、松本竜平(GO! PEACE!編集部)

「おてらおやつクラブ」と「フェリシモおてら部」の出会い

松本
松島さんと内村さんはいつからお知り合いなんですか?

 

内村
2013年の年末に、「おてらぶ」の活動をご一緒できる方を探していて、他のお寺さんから松島さんを紹介していただいたのが始まりです。

企画書を見ていただきたくて安養寺にお邪魔したとき、松島さんから「おてらおやつクラブ」のリーフレットを見せていただいたことをおぼえています。

 

松島さん
お会いしてからもう9年になるのですね……!

私が「おてらおやつクラブ」を始めるきっかけになったのは、2013年に大阪のマンションの一室で母子が餓死状態で発見される事件が起きたことでした。

この豊かな日本で餓死なんて……と胸を痛めると共に、「子どもの貧困問題」があることを知り、お寺の「ある」と社会の「ない」をつなげることで社会課題を解決することはできないだろうか、と思いつき、仏さまへの「おそなえもの」を「おさがり」としてさまざまな事情で生活に困窮するご家庭に「おすそわけ」する、という活動をスタートしました。

最初は個人的に活動していたのですが、「おすそわけ」が必要なご家庭が多すぎて、うちのおそなえものだけでは全然足りないことがわかって。

そこで他のお寺にも声をかけてみようと思い、活動を紹介するために簡単な企画書を作りました。内村さんに見ていただいたのはそれだと思います。

みんなでおそなえギフトは、お手紙を添えて発送しています

 

内村
「おてらおやつクラブ」というなまえも、活動のコンセプトも、当時からずっと変わっていないですね。感慨深いです。

 

松島さん
内村さんに初めてお会いしたときは、なかなか個性的な方だなぁという印象だったので、「この方を受け入れるなんて、フェリシモさんって自由な会社なんやなー」と思いました(笑)。

フェリシモさんは通販カタログの会社だというイメージがあったけれど、お話を聞くと、社会的な取り組みや、おもしろい商品作りなど、実にいろいろな活動をされていて。

私自身が仏教やお寺のことをもっと世の中に知ってもらうためにやりたいと思っていたことに重なるものも感じて、とても共感をおぼえました。

 

内村
たしかに、自由な会社ではあります(笑)。

おてらぶのオリジナル商品

 

松島さん
私は当時、僧侶になってまだ2、3年目でした。

日常的にいろいろとやらないといけないことがあまりにたくさんあり、それを続けるだけで精一杯になっていたのですが、内村さんとのお話を通して、まだまだ新たな視点やアイデアがあること、またお寺というものの持つポテンシャルにも気づかせていただけました。

お話しすることで気持ちがやわらぎましたし、力んでいた自分をいい感じにゆるめてもらったような気がします。

フェリシモの「おてらぶ」の企画は、見方が新鮮でおもしろいなぁと思います。

内村さんの仏教愛のなせる技だと思うのですが、単に「お寺に行こう!」と伝えるだけではなく、お経に説かれている内容や、仏さまの姿など、仏教の本質的なところまでちゃんと押さえている。

ものづくりへのこだわりも、本気度もすごいと思いました。

 

内村
そんなふうに言っていただけて、とても光栄です。

ぼくはあの日、「おてらぶ」に協力していただけないだろうかというご相談で伺ったものの、松島さんからおてらおやつクラブのお話を聞いて、「ああ、やろうとしていることのレベルがぼくと全然違うな……」と圧倒されながら帰路についたことをおぼえています。

松本
松島さんは、どのような経緯で僧侶になられたのですか?

(左)松島さん、(右)内村(おてらぶ部長)

松島さん
実は、スムーズに仏道に入ったわけではなく、僧侶になる前は東京で9年間サラリーマンをしていました。

私の母の実家がお寺で、そのお寺で私は育ちました。将来的にはお寺を継いで、自分もお坊さんになるのが自然だという、他の子たちに比べるときわめて特殊な環境です。

私はこの、自分の将来が決まってしまっているような状態が嫌で、お寺から逃げるために勉強をがんばって、東京の大学に進学し、そのまま東京でインターネット系の企業に就職したんです。

途中で出資先のベンチャー企業にかかわるようになると、大企業の中にいるよりベンチャー企業にいる方が仕事がおもしろいことに気づいて、転職を決めました。そのときに、インターネットで消費者と企業を直接つなぐということはものすごく大きな力になるんだ、そしてその力というのは社会をよくする力にもなり得るんだ、ということを体感できました。

この経験は、今のおてらおやつクラブの運営にとても役立っていると思います。

 

松本
9年間も東京で働いたのち、僧侶になることを決心されたというのは、何か理由があるんですか?

 

松島さん
話すと長くなってしまうのですが……(笑)。

私は、ずっと自分の特殊な環境が嫌で、まわりの友だちと同じように普通の人生を歩ませてほしい、と思っていた。

「ここではないどこか」に行きたかったんですね。だから、東京に出た。

ところが、東京でいろんな人に出会う中で、「この人すごいなぁ」「こんな人になりたいなぁ」と自分が思った人は、みんなどこか人と違う生き方をされていた。

「普通の人生を歩みたくて」東京に出てきたのに、「違う生き方をしている」人に対してあこがれている……。自分の理想像と、東京に出てきた動機にギャップが生じていることに気づいたんです。

私も人と違う生き方をしたい。そのためにはどういうふうに生きればいいんだろう?と考えたとき、今まで遠ざけていた「僧侶」という道は、実は自分にしかできないとてもユニークな生き方なのではないか、ということに気づいた。生まれて初めて、僧侶という生き方に積極的に興味を持ち、受け入れることができたんです。

そういうわけで会社を辞めて、3年ほど修行道場に入ってから、今に至ります。

松島さんのいらっしゃる、奈良県 安養寺

人に手を差し伸べるときは、無理のない範囲で。

松本
私は2021年に、フェリシモ神戸学校で(フェリシモで定期的に行っている、「経験と言葉の贈り物」をコンセプトとしたメッセージライブ)松島さんのお話をお聞きし、「おてらおやつクラブ」について知りました。

子どもの貧困問題については自分なりに知っているつもりでしたが、現実は想像以上に厳しい状態であることを知りました。

次の日には、もう「みんなでおそなえギフト」の企画書を書いていました。

 

内村
行動が早いですね!

 

松本
もともと社会的な価値のある活動ができる会社だと思ってフェリシモに入社したこともあり、常々こういう活動に取り組みたいと思っていました。

私が立ち上げた「猫部」というブランドコミュニティーでも、動物愛護団体をサポートする「フェリシモわんにゃん基金」というプロジェクトを続けているのですが、生活者ひとりひとりの思いやりの積み重ねが大きな力になるということは、この活動を通して強く実感していました。

フェリシモには「おてらぶ」という頼りになるコミュニティーもありますから、きっといい企画ができるはずだと思いました。

「みんなでおそなえギフト」は、基金を募るのではなく、おそなえをみんなで共同購入する取り組みです。

「ご自身でおそなえを買ってお寺におそなえしてください」だと、ふだんからお寺に通っている方でないとなかなかむずかしい。「個人で1万円を寄付してください」というのもハードルが高い。

けれど、ひと口100円からの共同購入なら気軽にできるのではないかな?と思いました。

 

内村
この方法だと、フェリシモの通販システムという強みを活かせるし、私たちの目標である「“誰かのために力になる”ことを習慣にする」ということも可能ですよね。

悲しいことに、困りごとを抱える家庭の数は増え続けているし、先が見えない。

だから目標を達成したら終わり!という訳にはいかないわけで……

 

松島さん
おっしゃるとおり、貧困状態にある家庭の問題は、ずっと終わりの見えない状況が続いており、コロナ禍に入ってからは特に、助けが必要な家庭の数は増え続けています。

やってもやっても終わりが見えない感覚があり、自分たちだけで活動を続けていくことのむずかしさを日々痛感しています。

フェリシモのみなさんとご一緒することで、これまでご縁のなかった方々にも私たちの活動を知っていただけるし、ひと口100円からそれぞれが無理のない額でご協力いただける。

とても大きなお力添えで、本当にありがたいです。

内村
「人に手を差し伸べるときは、無理のない範囲で」ということを、松島さんはいつもおっしゃっていますね。

 

松島さん
誰かが無理をすると、活動は続きません。無理をしないためには、できるだけ多くの方が、自分にできる範囲の小さな思いやりを持ち寄る必要があると思います。ご自身の状況に合わせて、ご協力いただける範囲でいいんです。

「できる範囲で」「無理はしないで」。この考え方が「みんなでおそなえギフト」のコンセプトにそのまま盛り込まれていていることも、とてもうれしかったです。

 

松本
「社会にいいことをしよう」「社会貢献をしよう」という気持ちはとても尊いものですが、がんばりすぎると継続がむずかしくなってしまうこともありますよね。

奈良県善福寺でのおそなえの様子

 

松島さん
そうですね。いちばんの理想は、無理せず、無意識に社会活動に参加できている状態です。

あまり肩に力を入れて社会活動に入れ込みすぎると、「こんなにいいことをしているのだから評価されたい」というまた別の我が出てきてしまう可能性がある。

我というのは強くなりすぎるとコントロールできなくなってくるもので、そうなると活動の意味がまた別のものになっていってしまいます。だからこそ、やはり無理は禁物。

 

内村
その「我」についてのお話は、とても仏教的ですね。

 

松島さん
おそなえいただく方にとっても、ギフトを受け取るご家庭にとっても、意識されない存在でいることが大事だな、と思います。

自分たちも、活動は続けつつも、「こんなにがんばってます!」と声高に主張するのではなく、できるだけ「姿(存在感)を消す」ということを心がけています。

手を差し伸べることは、誰にでも、自然にできるんですよ、ということを伝える必要があると思います。

鎌倉大仏殿高徳院でのおそなえの様子

 

内村
だからこそ、小さな力を集めて大きな力にする、というのが大切なのですね。

 

松島さん

そうですね。「おそなえ」「おさがり」「おすそわけ」というのは、若い僧侶が考えた新しい試みであるように言われることもありますが、実は昔からお寺にある習慣なんです。

みなさんお寺で仏さまにお参りをしますよね。お寺で手を合わせた結果、仏さまの力のおかげで、しあわせに生きていられることを実感する。

「おそなえギフト」では、実際にお客さまはお寺に行かないけれど、おそなえものを通して誰かのしあわせを願うことで、その誰かに実際に思いを届けることができる。そして、そのことによってご自身もしあわせを感じることができる。

今回の取り組みは、お寺って本来そういう場所だよね、ということを改めて実感いただける機会になるのかもしれません。

 

松本
フェリシモの企業コンセプトである、「ともにしあわせになるしあわせ」にも通じるものがありますね。

たよってうれしい、たよられてうれしい。

内村
「たよってうれしい、たよられてうれしい。。」という「おてらおやつクラブ」のパーパス(社会的存在意義)は、とても素敵ですね。

 

松島さん
コロナになってからは特に、全国から「助けて」の声が急増しています。

スタート当時のおてらおやつクラブは、地域の家庭と、地域のお寺を、支援団体を通してつなげていました。ところが、地域のさまざまなリソースにつながることのできないお母さん、お父さんもたくさんいる。だからインターネット経由で私たちに助けを求めてきてくださるわけです。

どこにいるのかわからない、困っている人たちが見えるようになった、という意味では前進とも言えますが、手を差し伸べるにはあまりにも数が多い。

そうは言ってもやるしかない、と気持ちを切り替えてひたすらやっていたけど、手を差し伸べるのも限界がある。

そのうち、「我々も、誰かに頼っていかないといけないな」と思うようになりました。

 

松本
2019年の厚生労働省の調査では、子どもの7人に1人が貧困問題に直面していると公表されました。お話を聞いていると、状況はさらに厳しくなっている可能性が高いですね。(※2022年の調査では約9人に1人と改善しているものの、依然厳しい状況が続いています。)

松島さん
「助けて」の声が増える一方で、「私にも何かできませんか?」という声も、同じように届き始めました。

「コロナの支援給付金をそのまま寄付させてください」

「支援金は降って沸いたようなお金なので、困っている方のためにお役に立ててください」というありがたいお声がたくさん届いたんです。

全国から「おそなえ」のご寄贈もたくさん集まりました。みなさん、必ず「自分に何かできるということが本当にうれしいんです」とおっしゃってくださるんです。

こうして両面の声をお聞きするうちに、私たちの活動は、困りごとを抱えるひとり親家庭にお届けものをして生活の改善をサポートするというだけのものではないのだな、と思うようになりました。

「助けてほしい」「たよりたい」という声と、「助けたい」「たよられたい」という声の両方をつなげることも、自分たちの活動の大切な存在意義なのではないか。そう感じるようになったんです。

 

内村
「声」と「声」を「お寺」がつなぐ。とても大切な役割ですね。

 

松島さん
そうした流れで出てきたのが、この「たよってうれしい、たよられてうれしい。」という言葉です。

実はこの言葉は、事務局のメンバーがミーティングで提案してくれたんです。

私がひとりで考えてもとうてい思いつかないような言葉を、メンバーが出してくれた。

おてらおやつクラブは、みんなで力を合わせてやっている活動なんだなと改めて実感できましたし、メンバーそれぞれが能動的にやるべきことを見つけて動いている感じがとてもうれしかったです。 

私は、ゼロから何かを始めることは大好きなんですが、始めたものを大きくしたり、続けていくというのが本当に苦手で。それでもこうして10年以上も続けることができているのは、自分の苦手なことを誰かが助けてくれているからなんですね。

ちょっと前までは自分は立場的に弱音を吐いてはいけないなと思っていたけれど、最近は、しんどいときは「しんどい」って言ってもいいし、大変なときは「ここ、まかせていい?」って言ってもいいのかもしれないな、と思えるようになってきました

もちろんメンバーの誰かが、私に対してたのみたいことがあるときは、気軽にたよって欲しい。そういう関係でありたい。

「たよってうれしい、たよられてうれしい。」を自分たちが率先して実践して行けば、私たち自身もより成長できるのではと思います。

 

松本
フェリシモのコーポレートスローガンは、今は「ともにしあわせになるしあわせ」ですが、もともとは「人をしあわせにするしあわせ」でした。人をしあわせにすると自分もしあわせになれる、ということなんですよね。

私はフェリシモで「猫部」というブランドコミュニティーを立ち上げましたが、「フェリシモわんにゃん基金」や「基金付き猫グッズ」の販売を通して、処分される予定だった猫をたくさん助けることができました。ご協力いただいたお客さまからもうれしいお声をたくさんいただき、そのことが自分自身のしあわせにもつながっているのを実感しました。

これはもっとささやかなことですが、近所の商店街に行くと、いつも昆布屋さんのおばちゃんが子どもにおやつ昆布をくれるんですよね。子どももよろこぶし、それを見ておばちゃんもうれしそうにしてくれる。もちろん私もうれしくなる。そういうことの積み重ねで世の中が循環していけばいいなと思っています。

もちろん、「みんなでおそなえギフト」もその一環になればいいな、と思っています。

フェリシモ「猫部」の商品

内村
ぼくは昔からお寺が大好きで、あるお寺さんと5年ほど仲良くさせていただいてるんですね。最初のうちは他人行儀な空気もあったけれど、毎月決まった日にお手伝いに通い続けているうちに、お寺さんの方から「来てくれへんか?」って声をかけていただけるようになってきた。

お寺との関係がさらに深まってくると、「ずっとこのやり方だったけど、次からこんなふうにしません?」とか、「こういうおもしろいことやってみましょうよ」なんていうことも気軽に言えるようになってきて。

「たよる」「たよられる」というのは、一方通行の関係ではないんですよね。お互いが自分の内側を見せ合って、それが見えたとき、本当に仲間になったんだな、と思える。

「大根炊きを手伝って」と言われたときなんて、「そんな大切な行事の一部をぼくに任せてもらえるんですか?」と、本当にうれしくて。「手伝って」って言われているのに、自分としては、ものすごくいいものをいただいているような気持ちになるんですね。

こういう関係って、何よりかけがえのないものだと思う。単なる依頼ではなく、心と心のやりとりなんだな、と感じます。

話すことのむずかしさ 話すことの大切さ。

松本
「おてらおやつクラブ」というなまえは、シンプルなのに、必要なものが全部入っている感じがしますね。

 

松島さん
もともとは、「私はこんな活動をしています」ということを伝えるためには単純化されたなまえが必要だなと思い、なんとなく決めたものなんです。

おそなえものにおやつが多い、ということもあるし、子どもたちにたくさんおやつを食べてほしいという気持ちもあり、単純に「おやつ」とつけたんですね。でも単なる物資じゃなくておそなえものだから「おてら」をつけた。最後の「クラブ」は、やはり人が集う、ということを大事にしたいから。それで、「おてらおやつクラブ」。

誰にでもわかるなまえがいいなと思ってこれにしましたが、ちょっと印象が軽すぎるかな?と思うこともありました(笑)。でも、続ければ続けるほどに、「おやつ」という言葉の懐の深さ、奥深さを感じるようになりました。ひらがなで書かれた「おやつ」という言葉は、単なるお菓子ではない意味合いを含んでいる特別な言葉だな、と感じます。

 

内村
松島さんにお会いしたころ、ぼくはゴリゴリの仏教オタクだったので(笑)、第一印象では、「せっかくお寺さんが行う活動なんだから、仏教用語の方が響くのでは?」と思ったりもしました。

でも改めて考えてみると、松島さんが見ていらっしゃるのは、お寺ではなく、受け取り手である子どもたち。「おてらおやつクラブ」は、お寺発信のプロジェクトではあるけれど、肝心なのは「受け取る方がどう感じるか」ということなんですよね。

むずかしい言葉にしようと思ったらいくらでもできる。でも、誰にでもわかる言葉で活動を表しているということに意味があるんだな、とすぐに思い直しました。改めて、すばらしい活動名だと思います。

 

松本
松島さんは、「おやつは心の栄養」ともおっしゃっていますね。

おてらおやつクラブからの「おすそわけ」の例

松島さん
受け取って心がやわらいだり、目の前にあることで笑顔になれたり……。おやつにはそういう力がありますよね。

私たちがお届けしているおそなえものには、マスクや消毒用品や生理用品、シャンプーなどもあります。

「みんなでおそなえギフト」にも、お米やレトルト商品などが入る予定ですよね。それらはお菓子じゃないからおやつじゃない、ということではなく、やはり受け取ることで安心するし、笑顔になれる。それも含めて「おやつ」なんだな、と思います。

松本さんや内村さんがフェリシモさんならではの企画を考えてくださったり、フェリシモのお客さまが無理のない範囲で「みんなでおそなえギフト」にご協力してくださったりすることも、私にとっては「おやつ」です。緊張をときほぐして心をやわらげてくれる、とっておきの心の栄養なんですね。

 

内村 
「おやつ」を受け取ったご家庭からも、たくさんの声が届いていますね。

 

松島さん
「お菓子が届いてうれしい!」という声はもちろん、「知らない方が自分たちのことを思ってくれている、そのことが本当にうれしい」という感謝の言葉が数多く届いています。

「自分たちは孤独じゃないんだ」と感じていただくことが、子どもたちの孤立を防ぐことに少しでもつながれば……と願っています。

手書きのお手紙をいただきました

松本
おいしいお菓子やご飯を囲んで大切な人と過ごす時間は、何より豊かな心の栄養になると思います。

うちの子も、りんごをむいて出しただけで大よろこびしてくれる。すべての子どもに、そういうしあわせな時間をお届けしていくためにも、やはり「続けていく」ことの重要さを感じますね。

 

内村
「おやつ」には、会話をはずませる力もあると思います。モアフェリシモの今号のテーマは「話す」ですが、コロナ禍もあり、本当に「話す」こともむずかしい世の中になっていますね。

 

松島さん
「おてらおやつクラブ」には、「自分の苦しい状況を話す相手が誰もいないから、最後の勇気を絞って問い合わせをしました」という声もたくさん届いています。経済的に困っている方はもちろん、そうでなくても、今は本当に人と話す時間をとるということがむずかしくなっていますよね。

オンラインツールでもそうです。子どもたちのオンライン授業を見ていたら、ビデオはオフ、音はミュートで、子どもたちは聞くだけ。大人側からの一方通行が当たり前になっている。ここでも子どもは声を出せないのか……と悲しくなります。私は、これからは、ビデオをオン、アンミュート(ミュートしない)な関係が大切だと思います。子どもが自由に声を出すというあたりまえの居場所を増やしてあげたい。

だから子どもたちの声を聞くというのは、それ自体が大きな価値。子ども主導で何かをしようと思ったら、子どもにどれだけ話をしてもらえるか。大人の側から「はい、じゃあ話して」とうながすのは、それは大人の都合ですよね。子どもたちには自由にたくさん話してもらう。そして大人はそこから社会をより良くするヒントをもらう。というのが理想の関係ではないかと思います。

一方で、話したくないのに、無理に話すことを強いられる状況もつらいですよね。そんな子にはどのような場所を作れるか、ということを考えるのも大切だと思うんです。誰にも話さない、相談しないということで、自分だけのオリジナリティを育むことができる、秘めたまま進化させることができる、ということもありますから。……って、さっきと真逆のことを言っているようですが(笑)、どちらの場合にも言えるのは、「自分とどれだけ話ができるか」「自分の内なる声に耳をかたむけているか」ということだと思うんです。自分の声をスルーしていたり、本当の気持ちを押し殺して自分にうそをついてしまうと、自分らしさを見失ってしまうと思います。

松本
まずは「自分」とどれだけ話ができるか……。大切なことですね。

おいしいおやつとみんなの気持ちが、子どもの心の栄養に。

松本
「おてらおやつクラブ」の特徴として、匿名配送というものがありますね。

 
松島さん
もともと匿名配送にしたのは、ギフトを受け取るご家庭の個人情報への配慮と、おそなえものを1箇所から送るのは大変だから分散配送にする必要があったこと、この2つが理由でした。
ところが、ギフトを受け取るご家庭の方から、「匿名だから安心して申し込めました」というお声がたくさん届きました。関係が近すぎたり、顔見知りだと、なかなか「助けて」と言えないことも多いですよね。結果的によかったなぁと思っています。

実はいま、そこからさらに一歩進めて、「匿名が解かれる地域」も作れたらいいな、と思っているんです。

 

内村
「匿名が解かれる地域」ですか?

兵庫大仏でのおそなえの様子

松島さん
活動にご協力いただいているお寺の中には、「おてらおやつクラブ」という幟(のぼり)を立ててくださっているところもあるのですが、おそなえを受け取ったお母さんから届いたコメントに、「うちの近所のお寺に幟が立ててあるのを見て、ここから送ってくださったのかも、とうれしくなりました」、と書いてあったんです。

もしかしたら、もう少ししたら、そのお母さんが山門をくぐって、そのお寺に入ってきてくれる日が来るかもしれない。そして「近くに頼れるところがあるんだ」と気づいていただくことができれば、こんなにうれしいことはありません。

仏さまの救いを「暗闇を照らす光」と表現することがありますが、まさにそういう感覚です。それまで見えなかったものがある瞬間にぱっと明るくなり見えるようになる。顔と顔を合わせて、信じ合い、支え合える。そういうご縁がどんどん広がっていけばいいなぁ、という希望を今は感じています。

 
内村 
そうなればとてもよいですね。ぼくも、これからは、地域は「地域力」をつけていくことがより大切になっていくのではないかと思います。

地域によって事情も文化も違うから、国が一律に支援をすると言っても限界がありますよね。企業が杓子定規なサテライトを大量に作らなくても、もともと地域には、その土地に根ざした歴史ある場所がちゃんとある。それが、お寺だと思うんです。

地域の人たちが気軽に行けて、困ったときはいろんなことを相談できる場所。お寺がそういう場所になって、地域力が 広がっていけば、さらにいろんな可能性が広がるのではないかなと思います。

 

松島さん
そもそもお寺や神社では、なまえを名乗ってからお参りをする方はあまりいませんから、仏さまの前ではみなさま匿名性が高いんですよね。

みなさまが神仏にお祈りした「ご自身のしあわせや誰かのしあわせ」を、私たちが「おてらおやつクラブ」という活動を通し、目に見える形にしてお返ししていくということは、匿名から匿名性を解いていくような、そういうところがあるのかもしれませんね。

須磨寺でのおそなえの様子

内村
やはり、ただ金銭を送るというのではなく、「お寺を通す」というプロセスがとても重要なのだと思います。「みんなでおそなえギフト」でも、おうちにいながら参加できるという通販の利点は最大限使いつつも、「お寺におそなえをしてお経をあげていただく」というプロセスは絶対にはずせないものですね。

 

松本
「話す」という行為は、必ず「聞く」もセット。今回のプロジェクトは、お寺さんも聞き相手になりますよ、というお寺さんからのメッセージを発信してくださっているのかな、と思います。

私はフェリシモも、お寺のように「生活者の聞き役」になれたらいいなと思っているんです。「買った服のサイズが合いません」などのお声をいただくことも多いですが(笑)、そこからもう一歩進んで、「今、暮らしの中でこういうことに困っています」「もっとこういう世の中にしていきたいです」などといったことも気軽に話していただけるような場所を作っていきたい。

そして「みんなでおそなえギフト」も終わりのないプロジェクトであるだけに、みなさまの話をお聞きしながら、長く続けていきたいと思っています。ぜひ、みなさまにご支援いただけたらうれしいです。

 

内村
人間って、ささいなきっかけで変わることがあると思います。勇気を出して「助けて」と声をあげることで変わることもあるし、「助けたい」という思いを行動に移して、ひと口100円からのお買い物をするだけで変わること、変えられることもきっとあるはず。「みんなでおそなえギフト」がそんな新しい一歩を踏み出すきっかけになれば、と祈っています。

松島さん
私の修行の道程において、内村さんや松本さん、フェリシモさんとの出会いはとても大きな支えになっています。人と人がつながることで、自分自身も豊かになるし、もっともっと大きなことができるようになると思います。大上段に構えて「いいことをするぞ!」と気負わなくても、「みんなでおそなえギフト」を通せば、日常的なお買い物の中に自分にできることがあると実感してもらえる。改めてしあわせな企画だなぁと思うと同時に、心からありがたく思っております。

みんなの気持ちを“おそなえ”してつくる「おそなえギフト」

さまざまな事情で困っている全国の子どもたちに、おいしいお米やお菓子を詰め込んだ「みんなでおそなえギフト」を1口100円の共同購入のかたちで準備してお送りするプロジェクトです。
売上金が約8,000円分集まると購入いただいたお米やお菓子が入った「おそなえギフト」1箱が完成。おてらおやつクラブとご縁のあるお寺におそなえした後、全国のご家庭・団体にお送りします。

※この記事は、morefelissimoのWEBサイトに2022年10月に掲載された記事を、最新の情報に基づき加筆修正したものです。

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